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青く澄んだ海に囲まれ、文化と自然が色濃く残る五島列島。その中でも、島の空を彩る風物詩として愛されているのが「バラモンダコ(バラモン凧)」です。色鮮やかで迫力あるその姿は、五島を訪れた人の目に強く焼きつき、また地元の人々の心の奥に深く根づいています。

今回は、このバラモンダコに秘められた歴史と、そこに込められた人々の想いについて、ご紹介します。


バラモンダコとは?

バラモンダコは、長崎県五島市で伝統的に作られている和凧で、四角形をベースにした独特の形と、中央に大きく描かれた武者絵が特徴です。凧の中心には、怒りの表情を浮かべた勇ましい武将が大きく描かれ、その両脇には龍や虎、風神雷神などの縁起のよい絵柄が添えられることもあります。

風を受けて空高く舞い上がるバラモンダコは、見る者に強いエネルギーと生命力を感じさせ、「五島の空に似合う凧」として長く親しまれてきました。


名前の由来と「バラモン」の意味

「バラモン」とは、五島の方言で「元気者」「暴れん坊」「活発な人」を意味する言葉です。例えば「バラモンな子やね」と言えば、「元気いっぱいの子だね」という意味になります。

この「バラモン」という言葉が、凧の名に使われているのは、五島の子どもたちに「たくましく育ってほしい」「困難に立ち向かう強い人間になってほしい」という願いが込められているからです。バラモンダコは、単なる玩具ではなく、親から子へ、地域から若者へと引き継がれる“祈りの象徴”なのです。


歴史的背景と伝承

バラモンダコの起源ははっきりとはしていませんが、江戸時代後期にはすでに五島で凧揚げが盛んに行われていた記録があります。当時、正月や節句、祭りの時期になると、村の広場や海辺で子どもたちが凧を揚げ、競い合っていたそうです。

特に有力なのは、中国や朝鮮半島との交易や文化交流の中で、凧揚げ文化が五島に伝わったという説です。実際、五島は遣唐使船の経由地であり、外海との接点が多かったため、東アジアの多様な文化がこの地に根付いたと考えられています。

また、漁師たちの間では「風を読む」訓練として凧を用いたこともあったとされ、凧は実用と娯楽の両面で地域に深く関わってきました。


凧に描かれる武者絵の意味

バラモンダコの特徴のひとつが、勇ましい武者絵です。これは単なる装飾ではなく、「魔除け」や「家族を守る守護神」の意味が込められています。凧に描かれるのは、源義経、武田信玄、上杉謙信など歴史的な英雄たち。彼らの凛々しい姿は、空高く舞いながら悪運を祓い、幸運を呼び込む存在として、人々の信仰の対象でもありました。

特に、凧の顔が睨みを利かせた「にらみ絵」となっているのは、見る者の邪気を祓うと同時に、見守ってくれる存在としての意味合いもあるのです。


バラモンダコの作り方と技法

バラモンダコは、すべて手作業で作られます。和紙に竹ひごを組み合わせ、職人が筆で武者絵を描いていきます。色づかいは力強く、赤や黒、金などが多く使われ、遠くからでも存在感を放つように工夫されています。

凧の骨組みや糸の張り方にも独特の技術があり、風に乗せやすくするための「鳴き竹(なきだけ)」と呼ばれる仕掛けがつけられることもあります。これは風を切るときに「ビュウビュウ」と音を立てる細工で、子どもたちを喜ばせる演出としても人気です。


現代のバラモンダコと地域のつながり

現在でも、五島市では毎年1月に「バラモンダコ揚げ大会」が開催され、多くの家族連れや観光客が訪れます。会場には大小さまざまな凧が舞い上がり、空がまるで動く絵巻物のように彩られます。地域の子どもたちは、学校や家庭で凧作りを学び、自らの手で空へと揚げる体験を通じて、伝統とふるさとの誇りを感じ取っています。

また、近年では観光土産として小型のバラモンダコが販売されたり、壁掛けインテリアとして活用されたりと、伝統と現代の暮らしが交わる形で新たな魅力が生まれています。


バラモンダコに込められた想い

五島の空を泳ぐバラモンダコは、単なる正月の風物詩ではありません。そこには「子どもたちの健やかな成長を願う心」「地域文化を次代へ伝える使命感」「困難に打ち勝つ力強さ」など、さまざまな想いが込められています。

風に舞い上がるその姿を見上げるたび、人々は自らの原点やふるさとへの思いを新たにするのです。

五島に来たなら、ぜひ一度、冬の空に揚がるバラモンダコを見上げてみてください。そこには、目に見えない多くの祈りと誇りが、確かに宿っています。

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