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長崎県五島列島は、青く広がる海と豊かな自然に包まれた美しい島々であると同時に、日本の近代宗教史におけるひとつの特異な記憶を宿す場所でもあります。それが「潜伏キリシタン」の存在です。数百年にわたって信仰を密かに守り続けた彼らの生き方は、2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録され、国内外に大きな注目を集めました。

本稿では、約5,000字をかけて五島における潜伏キリシタンの歴史、隠れキリシタンとの違い、迫害と信仰、文化的価値、そして現代への継承までをたどります。


1. キリスト教伝来と五島列島への布教

日本にキリスト教が伝来したのは1549年。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したことに始まります。その後、九州を中心に宣教活動が行われ、とりわけ長崎周辺では多くの信者が生まれました。五島列島においても、天正年間(1573〜1592)に宣教師が訪れ、布教が進んだとされています。

五島領主であった五島家は、当初はキリスト教に対して比較的寛容な姿勢を取っていましたが、豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587年)や徳川幕府の禁教政策により、キリスト教は弾圧対象となり、信者たちは次第に地下へと潜ることを余儀なくされます。


2. 潜伏キリシタンとは何か?

「潜伏キリシタン(Hidden Christians)」とは、江戸時代における約250年間にわたり、公に信仰を表すことが禁じられる中で、密かにキリスト教の信仰を守り続けた人々を指します。彼らは洗礼、祈祷、教理などを口伝や儀式として家々に伝承し、公の目から身を隠しながら宗教生活を継続していきました。

潜伏キリシタンの特徴は、教会や聖職者がいない状態でも独自に信仰を継承した点にあります。祈りの対象であるマリア像を観音像に似せてつくった「マリア観音」や、「オラショ」と呼ばれるラテン語由来の祈祷文を用いるなど、彼らなりの工夫によって信仰を維持していったのです。


3. 隠れキリシタンとの違い

潜伏キリシタンとよく混同される言葉に「隠れキリシタン」があります。両者は似たような状況にある信者を指しますが、厳密には異なる段階を示します。

  • 潜伏キリシタン:江戸時代、禁教下においてもカトリックの教えを忠実に守り、密かに布教・継承していた人々。

  • 隠れキリシタン:明治以降、禁教が解かれたあともカトリック教会に復帰せず、独自の民間信仰として信仰を続けた人々。

つまり、潜伏キリシタンはローマ教会との再統合を目指していた信者であるのに対し、隠れキリシタンは独自の信仰体系を確立した「民間信仰の担い手」としての色合いが強くなっていったという点で、質的に異なるのです。


4. 迫害の歴史と「信徒発見」

江戸幕府による禁教政策は非常に厳しく、多くの信者が処刑されたり、流罪にされたりしました。五島列島においても、踏み絵が行われたり、密告によって集落が弾圧されたりする事件が相次ぎました。

しかし、そうした中でも信仰は密かに継承されていきます。明治初期の1865年、長崎の大浦天主堂を訪れた一団の信者が、フランス人神父プティジャンに対して「私たちは同じ信仰を持っています」と告げた「信徒発見」は、世界的にも奇跡と評される出来事でした。

この出来事を契機に、五島をはじめとする各地の潜伏キリシタンたちが続々と信仰を公にし、ローマ・カトリック教会への復帰が進みました。しかし、同時に古来の様式にとどまりたいと考える信者たちもおり、その後の信仰は二つに分かれることになります。


5. 世界遺産登録の背景と意義

2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されました。登録対象となったのは、教会堂だけでなく、禁教期に信仰を密かに守った村落跡や祭祀空間、巡礼地など全12資産。五島市からは「頭ヶ島の集落」「旧五輪教会堂」が含まれています。

ユネスコが高く評価したのは、単なる宗教施設の保存ではなく、「過酷な状況下における信仰の継承と地域社会の在り方」が記憶されている点でした。自然環境と信仰が融合した文化的景観こそが、五島の潜伏キリシタン遺産の大きな価値なのです。


6. 信仰と暮らしの共存

潜伏キリシタンたちは、信仰を生活の一部として内に秘めながら生きていました。彼らは表向きには仏教徒や神道の信者を装いながらも、家の奥には小さな祈りの空間を作り、特別な日にだけ密かに集まり、祈りを捧げていたのです。

その中には、洗礼を受ける方法や聖書の一部の口伝え、オラショの朗誦、年中行事に合わせた独自の祈りなどがありました。こうした“見えない教会”の存在は、現代の私たちに「信仰とは何か」「自由とは何か」を問いかけてきます。


7. 現代への継承と課題

今日、潜伏キリシタンの末裔たちは高齢化と信者数の減少に直面しています。信仰そのものを維持することが困難になる中で、文化的・歴史的価値をいかに未来に伝えるかが大きな課題となっています。

五島市や長崎県では、教会の保存活動や語り部の育成、文化財としての活用などを進めており、教育や観光とも連携した取り組みが行われています。

ただし、潜伏キリシタンの歴史は「展示物」として消費されるものではなく、人々の苦しみや祈り、そして誇りの積み重ねによって築かれた“生きた歴史”であることを忘れてはなりません。


8. 信仰が遺すもの

五島の潜伏キリシタンの歴史は、単に迫害の物語ではありません。それは、いかに人が信念を持ち、共同体の中でそれを守り続けることができるかという、人間の精神の深淵を示す物語です。

教会の静寂の中に、祈りの声が聴こえるような感覚。それは過去のものではなく、いまを生きる私たちの心にも確かに響くものであり、平和と寛容の意味を問い直す大切な手がかりとなるでしょう。

五島を訪れるとき、教会堂の佇まいや、集落の風景の中に、ぜひその記憶を感じ取ってください。そして、かつて海の向こうからやってきた信仰が、島々の静けさの中で脈々と生き続けてきたことに思いを馳せてみてください。

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